佐々木香織さんのSTORY 合計6度のがん発覚・再発・転移。すべての経験を、仲間の笑顔に変える

人生の残り時間は家族のために
私はずっと健康そのもので、会社の健康診断で「要精密検査」という結果が出ても、あまり気にしていませんでした。再検査で先生が大腸カメラの映像を見ながら「うちでは大きくて取り切れないな」と言っているのが聞こえても、まだ現実味はありません。入院して手術が必要だと知らされても「1泊2日ぐらいですか?」と聞いたくらいです。
当時、夫は単身赴任をしていて、検査の結果は電話で話しました。「がんかもしれないから、あなたも検査してね」って。2人の息子は、中学生と高校生。彼らにもすぐに「がんかもしれない」と話しました。でも私は寝込んでいるわけではなく、それまでと変わらず元気で、重苦しい雰囲気もありませんでした。
いま思い返すと、半年くらい前から異変はあったんです。トイレットペーパーでお尻を拭うと、小指の爪の先ほどの赤茶色いものが付いてくる。でも痛くも痒くもないから、がんだなんてまったく思いません。
手術のためにがんの専門病院を紹介されて初めて、自分ががんだという実感が湧いてきました。1週間後に出た細胞検査の結果は、ステージ1の直腸がん。ただ、それでも「初期だから切ったら治るよね。見つかってよかったな」と、そんなに落ち込むことはありませんでした。
手術をしたのは、2018年の8月です。無事に終わりましたが、7カ月ほど経ってから定期検診で肺への遠隔転移が見つかりました。遠隔転移ということは、がん細胞が全身に巡っている可能性がある。「切ったら治る」ではなかった。急に「命の期限」を突き付けられたようで、最初のがんのときには経験しなかった感情が、次々と湧いてきました。私のがんとの本格的な闘いは、ここから始まったように思います。
肺の手術の後の抗がん剤治療では、副作用でものすごい倦怠感に襲われました。それまで私はとにかく元気で、疲れてソファに横になるようなことはほとんどありませんでした。それがもう、体が重くて、目も重くて、何もしたくなくなるんです。
喉が痺れるのも辛かった。冷たいものを口に入れることができなくて、生野菜のサラダはもちろん、水すらダメ。レストランでも白湯をもらうほどでした。手も痺れて、冷たいものを触るとビリビリします。
本当に苦しい時間でしたが、抗がん剤治療をするかどうかは、自分で選ぶことができたんです。「薬を使っても生存率が少し伸びる程度だから、やってもやらなくてもいい」。先生にそう言われて初めて、「私はなんで治療するんだろう」と考えました。誰のために? 何のために?
私1人のためだったら、正直、やりたくない。でも、息子たちのことを考えると、人生の残り時間を少しでも延ばしたかった。それに、両親をしっかり見届けたいという想いもあって「少しでも長く生きられる可能性があるなら」と治療を決めました。