西舘 澄人さんのSTORY 「死ぬ時にゼロになるくらいでいいや。」大病きっかけで変わった人生観

重なった心身の負担と発作
朝起きて家を出る時だったと思うんですけど。急に呼吸が苦しくなって、家族に救急車を呼んでもらいました。2021年のことです。
「ちょっと心臓おかしいな」と思い、通院を始めたところでした。週に3・4回くらい、家を出て数分経つと呼吸が苦しくなることがありました。歩くスピードを落とすとおさまるのですが、「一応行っとこうかな」と思い、最初は近所の内科に、そこの紹介で総合病院に行きました。
薬を飲み始めて2週間ぐらいでしたかね。通院もしているし安心してたんですけど、狭心症で“ぐ~っ”とくるのがあって。その朝だけはおさまりませんでした。息はできたんです。でも、呼吸しているのに苦しい。ものすごく酸素が薄いようなところで呼吸しているようなイメージです。それと、胸のあたりに痛いような熱いような感覚がありました。
直感的に「もうこれは入院だな」とわかったんで、息子に救急車を呼んでもらいました。トイレを済ませ、下着を変えて、いろいろ準備しました。「早く病院行きたい」「早く楽になりたい」気持ちで、必死で。息子はあきれて見ていましたよ。心配してまわりにはいましたけど、彼のほうは冷静でしたね。
何でこうなったか、振りかえると、いろんなことが重なったのだと思います。ちょうど一週間前に親父が亡くなって、親父もやっぱり心臓でした。葬儀ということでね、気分的に落ちていたのかもしれません。
当時、仕事は福祉用具の専門相談員をしていました。介護ベッドや車いす、杖。そういったものを選定し、お客様のもとにお届けする仕事です。以前は外まわりをしていたんですけど、管理業務を担当するようになり、からだを動かす機会が減っていました。それで、ウォーキングやジョギングを始めたんですが、たぶん運動量としては少なかったんだと思います。体重がどんどん増えてきて「これはいかんな」という気はしていました。
それから、私は2002年に家内が罹患したのをきっかけに「GIST(消化管間質腫瘍)」という稀少がんの患者会活動をはじめたのですが、こちらも参加予定の学会が2週間後に迫っていたんです。佳境というか、忙しい時期でした。みなさん、「ゆっくり養生してください」とおっしゃってくれたんですけど。参加できず、負担を増やしてしまう形になったのが、一番つらかったです。