西舘 澄人さんのSTORY 「死ぬ時にゼロになるくらいでいいや。」大病きっかけで変わった人生観

2度のオペ、入院生活
搬送先の病院で救急処置をしてもらいました。ステントという器具を血管に入れる処置(ステント留置術)です。手首から入れる。それで入らなかったら足の付け根からという説明を受けたあと、先生の手元をずっと見ていました。
手術や処置って繊細でそーっとやるものと思っていましたが、結構、ぐいぐい入れるんですね。ものすごいガテン系の動きで入れてたんで、息苦しさや怖さはありましたが、おもしろく見ていました。処置前後の写真を見せてもらったら、心臓のまわりに重要な動脈が3本あって、そのうちの1本がたしかに詰まっていました。
そこから3週間と何日か入院しました。というのも、入院中に新たに詰まりかけてる部分が見つかったんです。同じ血管の少し奥のほうで、再発のリスクを回避できるならと思い、3週間目くらいにもう一度ステントを入れました。
なので、同じ部屋のなかで一番入院期間は長かったと思います。
入院自体はとっても快適でした。仕事柄、マットレスの硬さとか気になってしまうんですね。ベッドの上でうまく向きを変えたり、ベッドをリクライニングしていろいろな角度で寝てみたり、それはそれでちょっと楽しかったですね。車いすを押してくれる看護師さんの気遣いも「なるほどなぁ」と勉強になりました。
ただ、コロナ禍で面会がなかったので、「人と話したい」、「友達と話したい」という気持ちはありました。いつもは職場で会うとか、ビデオ通話するとか、顔を合わせて会話するのが普通でしたらね。苦痛ほどではないですが、直接話ができないもどかしさ、違和感みたいなのはありました。時間はふんだんにあるんですけど、いちいち用件をメールするのも面倒でしたし。
治療は、ステント以外に投薬とリハビリを受けました。リハビリは2日に1回くらいのペースで、主に歩く、自転車をこぐ運動をしました。週に1回は限界まで自転車をこいで、どこまで心臓が持つか検査しました。リハビリが本当に重要なんだっていうのを実感しましたし、運動の指導を受けられたのは良かったです。
ようやく退院となった時は、「もう1か月くらいいてもいいかな」と思いました。面会はできなかったですけど、パソコンやWi-Fiは届けてもらえたので、デイルームで一日仕事していたこともありました。部屋に戻れば食事が出てきますし、お酒やコーヒー飲めないというのはあったんですけど、快適でした。
家に残された息子はもう25過ぎてましたしね。彼は中学生の時に母親を亡くしてからずっと家事をやっていました。居酒屋でもバイトしていたから料理もできて、そのあたりの心配はありませんでした。退院した時、大事にとってあった大吟醸が空になっててすごく腹は立ちましたが。いつも通りに生活してくれていたのは助かりました。