{@ member.last_name @} {@ member.first_name @}

佐藤 陽子さん(仮名)のSTORY 知って欲しい、高次脳機能障害のこと。当たり前ではない今日を大切に生きる。

asan_2

目が見えない

無事に意識は戻りましたが、しばらく目が見えませんでした。くも膜下出血の後遺症で「テルソン症候群」というものです。本当にどうしていいかわからない状態でした。コロナ禍で面会できない。携帯があってもかけられない。家族の声を聞くことも何もできない。不安が大きかったです。

ご飯を食べる時も、誰も介助してくれませんでした。フォークを持たせてはくれるけど、それを置いたらもうどこに置いたか分からない。何を食べているかもわからない。食べられないだけではなく、食べたくないという気持ちもありました。食べるとトイレに行かなきゃいけないというのがあって、食事を拒否していたところもありました。
誰かの付き添いなしにトイレやお風呂に行けないことが本当に嫌だった。危ないからということでベッドにはセンサーが付いていて、降りようとすると誰かが飛んでくるのですが、看護師さんなのか、先生なのか、誰なのか何もわからなくて、本当に不安でした。
自分の名前を名乗って、私の名前を呼んで、ちゃんと声をかけてくれるのは、理学療法士の方だけでした。リハビリの時間は、ベッドから離れて歩ける貴重な時間でもありました。その方はたまたま目の見えない知人がいらしたらしく、唯一、目の見えない私に対応できるスタッフでした。逆に言うと、看護師さんも、他の療法士さんも、見えない人の介助の仕方がわからなかったんです。両手を引っ張られて歩くこともあったので、非常に怖かったです。病院という場においてなぜ見えない人の介助方法を知らないんだろうと、ほんとに驚きました。

当時コロナでリハビリ室は使えず、リハビリは、ひたすら廊下で歩行練習をしました。左足に麻痺があると言われて、最初は装具をつけて練習した記憶がかすかにあります。目が見えるようになってからは、装具をつけずに歩行練習をしていたので、そんなにひどい麻痺ではなかったんだと思います。目が見えるようになってからは、トイレやお風呂も自立できたし、もう病院生活も2ヶ月になっていたので、家に帰りたいと言いましたが、主治医と家族との話し合いでリハビリ病院への転院が決まりました。

次のページは:筋トレで終わったリハビリ病院