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川上智美さんのSTORY 「病気の自分」を受け入れる。ストーマが可愛くなるまで

告知されたのは本で調べていた希少がん

がんの告知を受けたのは、2013年9月のことです。母と夫と並んで診察室の椅子に座り、先生からB5の紙を渡されました。学会で発表された肉腫に関する資料です。先生は「あなたの病気はこれ」と説明しながら、「予後24~26カ月」と書かれた部分に赤ペンで何度も線を引きました。余命は2年。話を聞いている間、私は頭が真っ白で、何を言われても耳に入ってきませんでした。母も同じ様子で、夫だけがなんとか説明を聞いていました。
発覚のきっかけは、2カ月前にあったひどい腹痛でした。生理のタイミングでもなく、痛みが治まる様子が無かったので、救急外来のある病院に行きました。当初は卵巣がんを疑われましたが、診察してくれた先生が婦人科の専門ではなかったので、後日改めて検査を受けました。
検査の結果、子宮に腫瘍があるとわかりましたが、筋腫とはどうも様子が違います。手術で切除して病理検査をしなければわからないと言われ、まずは手術を受けることになりました。良性腫瘍や筋腫なら1カ月程度で病理検査の結果が出るそうですが、私は1カ月半ほどかかりました。悪性度が高いほど、結果が出るまでに時間がかかると医師から説明を受けました。
病理検査の結果を待つ間、病気の情報を集めようとしたとき、なぜかインターネットではなく、普段は行かない図書館に足が向きました。婦人科の病気の本を手に取り、たまたま開いたページに書かれていたのが、子宮肉腫です。まさか、その病気の告知を受けることになるとは、思いもしませんでした。
私が罹患した当時、子宮肉腫の患者の8割は「子宮平滑筋肉腫」か「子宮がん肉腫」だと説明されました。残りの2割のうち1割くらいが、私が罹患した子宮肉腫です。さらに、その中に悪性度の高いものと低いものがあり、私の肉腫は悪性度が高く、患者数が特に少ないものでした。
肉腫は、症例数が少ない希少がんで、「忘れられたがん」と呼ばれています。患者数が少ないのに種類が多いため、確立した標準治療はありません。私の場合は子宮内にあったため、まずは子宮と腫瘍を取り除く手術を提案されました。
肉腫はとても進行が早い病気です。私の肉腫は、見つかったとき7センチ程度だったものが、手術までの1カ月で10センチ以上に成長していました。
将来的に子供を望んでいたので、手術ではなるべく子宮を残してほしいとお願いしましたが、それは叶いませんでした。さらに、転移を防ぐために、卵巣・卵管・リンパなど、周辺の臓器を取り除く補助手術を同じ年の11月に受けました。

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