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川上智美さんのSTORY 「病気の自分」を受け入れる。ストーマが可愛くなるまで

病気は誰にでも起こりうる

なかなか受け入れられなかったストーマですが、いいこともありました。下痢の悩みから解放されたんです。
分子標的薬はいろいろな副作用がありますが、生活で一番困るのが下痢でした。一度トイレに行くと、その後何度も便意を感じてしまいます。実際に出るかどうかに関係なく、立て続けに10回くらいトイレに行くこともありました。ときには10分くらい個室から出られないこともあります。仕事中に何度も長時間トイレに籠るわけにはいかないので、トイレから席に戻るときに、倉庫から資料を適当に持って帰り、倉庫整理をしていたように装うこともありました。大好きだった旅行も、トイレの事情が心配でなかなか行けていませんでした。
でも、ストーマになってからは、便意に関係なくストーマに排泄されます。気になっていた音やにおいは、ほとんどありません。自分で気にすることもなくなりました。
最近ではオストメイト対応トイレも増え、出先でも困ることもほとんどありません。いまでは夫と車で全国のがんのイベントに出かけたり、旅行したりできるようになりました。各地のおいしいものを食べるのが夫婦共通の趣味になっています。
先にストーマになった友人がくれたアドバイスがあります。それは、自分のストーマに名前を付けることでした。名前を呼びながらお風呂で洗ってあげると、だんだん可愛く見えてくると教えてくれました。
私はストーマに「オオハタくん」と名付けました。お世話になっていた主治医の先生と若い先生、お二人の名前からとりました。先生たちや看護師さんに話したら、ゲラゲラと笑ってくれました。もう、ストーマに抵抗はありません。すっかり生活の一部になりました。
病気になって、いろいろな団体の活動に参加したりお手伝いしたりする機会があります。さまざまな人に出会い、気付いたことは、病気は「誰の隣にもある」ということです。年齢に関係なく、誰でもなる可能性がある。小児がんやAYA世代のがん、成人、高齢者、それぞれにリスクがあります。
私は、25歳のときに父をスキルス胃がんで亡くしています。それでもなお、私にとって、病気はどこか遠いものでした。なるとしても、60代、70代と、何十年も先のことだと思っていた。だから、病気になっても自分のこととして受け止めきれなかったのかもしれません。
実は、がんになって泣いたのは告知の日だけでした。泣きわめいて病気がなくなるならいくらでも泣くけれど、「泣いても病気がなくなるわけじゃない」と、私の心のどこかで思うようになりました。それは、「病気を受け止めた」というより「開き直った」のかもしれません。
患者会で知り合いに会うと、「どうしていつも元気なの」と言われます。私が元気でいられたのは、心のどこかで病気を自分のこととして捉えきれていなかったからだと思います。
抗がん剤を避けられなくなっても、髪が抜ける治療に気持ちがついていかなかった。ストーマもできるだけ使いたくなかった。再発は4回、受けた手術は合計6回です。再発と手術を繰り返し、抗がん剤治療やストーマの装着が現実になっていった。障がい者手帳や障害年金も申請し、少しずつ病気が“自分事”になっていきました。肉腫仲間の旅立ちや治療の話に寄り添う機会が増えたことも、自分が「患者」であることを認識していくきっかけのひとつだったと思います。
そんなふうにしながら、最後の再発から約5年が経過しました。いまでも分子標的薬の治療は続いていますが、入院や再発がない期間が続くと、当事者である実感が薄れるように感じられるときがあります。でも、再発や転移の可能性は、これからも私の隣にある。そのことを忘れてはいけないんだと思います。

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