野中美紀さんのSTORY もしも娘が自分と同じ病気になったら。「いのちを優先した選択」のできる文化をつくる

姉を二度苦しめた悪性度の高い乳がん
私が31歳のとき、4つ上の姉が乳がんになりました。当時2歳だった姉の娘が、走り回って遊んでいるうちに胸にぶつかってきた。左胸が痛んで、しばらくしても痛みが取れない。しこりがあるように感じたけれど、内出血して塊ができたのかなと考えていたそうです。
でも、数日して乳頭から血の混じった分泌液が出てきた。これはまずいと思って病院に行ったら3センチのがんが見つかって、ステージは2B。それも「トリプルネガティブ(治療標的となる三つの受容体が欠如しているタイプの乳がん)」で、効果のある治療薬が少なく、転移や再発の可能性も高いものでした。
姉はロジカルな考え方で、落ち込むことも少ない性格です。それが毎日自宅にこもってネットサーフィンをするようになりました。自分の病気に関して調べようとするけれど、当時はいまほど情報が集まりません。闘病している方のブログなどを読んでも、ネガティブな内容が多い。しっかり者の姉が、憔悴し切っていました。
このときを振り返ると、私は何もできなかったと感じます。姉は愛媛に住んでいて、私は東京。距離が離れていたということもありますが、正直に言えば、自分事として捉えることができなかったんです。
その後治療はうまく進み、ずっと無事に暮らしていましたが、8年くらい経った頃、姉は残った右胸にしこりを感じるようになりました。病院でも定期的に検査をしていたけれど、先生は「経過観察でいいだろう」と。でも、しこりがどんどん大きくなっていくのが自分でわかります。先生に頼んで細胞検査をしたら、またトリプルネガティブでした。
姉は日本では未認可の抗がん剤を海外から取り寄せるなど、積極的に治療をしていました。副作用もあって大変だけれど、やれることは全部やりたい、なんとか生きていたい。姉はずっと不妊治療をしていて、娘は9年目でやっとできた子どもです。絶対に死にたくないと頑張って治療をして、「もう大丈夫だよね」と話すようになっていたのに、再発。相当ショックだったようです。