野中美紀さんのSTORY もしも娘が自分と同じ病気になったら。「いのちを優先した選択」のできる文化をつくる

「抗えない」という恐怖
私は当時、生命保険会社に勤めていて、がん保険も扱っていました。仕事柄がんに関する勉強もしていて、姉が確率の低いトリプルネガティブに2度もかかったことに疑問を感じました。そこで、姉にセカンドオピニオンを勧めたんです。
がん研究で有名な東京の病院で検査をすると、姉のがんは遺伝性のものであることがわかりました。「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(以下、HBOC)」といって、遺伝的にがんを抑制する遺伝子に異常がある。そうした特性に由来したがんです。
私も50%の確率でHBOCであり、乳がんだけではなく卵巣がんも発症しやすいということでした。当時はようやく日本でも遺伝学的検査が始まった頃で、HBOCに関する情報もまったく集まりません。ショックや悲しさというよりも、ゾワッとした、得体の知れない恐怖を感じました。
それが3月のことです。遺伝学的検査に保険は適用されず、日本での検査数が2桁に届かないくらいの段階だったと思います。それに、遺伝に関する情報はセンシティブに扱われ、病院から姉の情報をもらうことも難しい。漠然とした不安はあるけれども、具体的な行動はできずにいました。
5カ月ほど経ってから毎年会社で受ける人間ドックに引っ掛かり、姉と同じ病院で再検査を受けました。結果は不明瞭な石灰化。がんの可能性もあるということで、1年後にもう一度検査をすることになりました。一般的ながんの進行から考えると、1年後でも十分追いかけることができる状態だったんです。現時点ではがんとは判断できず、生検する段階でもないということで、1年後の再検査で十分となりました。
HBOCのことがあるので、なんとか遺伝学的検査が受けられないかと乳腺科の先生に相談したら、遺伝子外来の先生を紹介してくれました。膨大な資料を説明され、何度か遺伝カウンセリングを受けて、11月にやっと検査を受けることができました。日本では分析出来ず、アメリカに血液を送って1か月後、結果は陽性でした。
HBOCであるということは、がん細胞を攻撃する免疫細胞をつくり出すことができないということです。持って生まれた身体の特性であり、抗うことができない。とにかく得体の知れない恐怖を感じました。