人見伊都子さんのSTORY 病気になったからこそ出会えた私。2度のがんを越えて、輝くランウェイへ。
最悪の1%」を引き当てた
私の家族は、夫と娘に息子です。当時息子はアメリカ留学をしていて、夫と娘にはがんを告知されたタイミングで伝えました。「初期だから大丈夫」と話したのに、2人とも「ママが死んじゃうんだ。どうしよう」と取り乱してしまいました。そんな様子を見ると、私はかえって冷静になってしまって。泣いたり叫んだりすることもできませんでした。
息子には、病気のことを伝えるべきかとても迷いました。「がんになった」と聞いたら、弱っている私の姿を想像するかもしれない。そう思って、くわしいことがわかるまで伝えないことにしました。
くわしく調べるために大きな病院に行くことになったのですが、不安なので、その間にも自分でいろいろ調べるんです。すると、私の症状が悪性度の高い「炎症性乳がん」の特徴に当てはまっているとわかりました。
「発生頻度は1%。予後が悪い」。炎症性乳がんについて目に入ってきたのは最悪の情報ばかりでした。「1%」に自分が入っているわけがない。でももし本当に炎症性だったらと思うと、どうしても家族には打ち明けられませんでした。
そうこうしている間にも、胸はさらに大きくなって、真っ赤に腫れあがっていきます。表面もべたついていて、炎症性乳がんに特徴的な「オレンジの皮」のような状態になっていました。
診断の結果は、炎症性乳がんでした。生検をしてもらった先生からの紹介状に、すでに「炎症性乳がん」と書いてあったようです。自分の人生で「1%」に当てはまる日がくるなんて、信じられませんでした。「絶対に起きないで」と祈っていたことが、現実になってしまった。
主治医からは、抗がん剤でがんを小さくしてからでないと手術はできないこと、そもそも抗がん剤の効果がいつ現れるかわからないことを伝えられました。「長期にわたる治療になるので、覚悟を決めて頑張りましょう」。深刻な顔でそう言われて、かなり難しい治療が始まるのだと実感しました。
同席していた夫も、ショックを受けていました。それでも主治医に励ましてもらって覚悟が決まったのだと思います。「どれだけ時間とお金を費やしても、一緒に闘う」と言ってくれました。帰宅してから娘に伝えると、内心は動揺していたはずですが、気丈に振る舞ってくれました。「大丈夫、大丈夫」と自分自身に言い聞かせるようにしながら。