久田邦博さんのSTORY 「死ぬまで」が僕の人生。やりたいようにやっていく。
家族を思って泣き続けた「魔の2週間」
大きな病院での診察は翌日になりました。そうして家に帰ると、ついインターネットで病気について調べてしまいます。すると最悪の病名が当てはまりました。「まさか。絶対にそうではない」と頭を振り払い、翌日病院へ向かいました。
医師に「何の病気だと思っていますか?」と聞かれ、否定してほしくて「慢性骨髄性白血病ではないでしょうか」と答えました。
「はい。たぶんそうでしょうね」
「まさか」が現実になってしまいました。しかし、この時点では確定ではありません。血液検査だけでは慢性骨髄性白血病の確定診断には至らず、精密検査を受ける必要がありました。
「もしかしたら違う病気かも?」「いや、受け止めないといけない」と気持ちが行ったり来たり。経験したことのないほどに動揺していました。
多くの方ががんの告知を受けてからショックや抑うつに苦しむ期間のことを、「魔の2週間」というそうです。僕も仮告知の直後から、悪いことしか考えられませんでした。死んでしまいたい、とさえ思いました。
当時の治療法では、3年半で約半分の人は死んでしまう病気です。僕には子どもが4人います。当時は、10歳、8歳、6歳、4歳。全員男です。この子たちの成長を見られないと思うと、悲しくて仕方ありませんでした。
大人になったら一緒にお酒を飲んで人生を語りたいと思っていたのに、そんなこともできないのか。病気になって、死ぬのが怖くて泣いたことは一度もありません。家族を守れない、家族と別れたくない、家族に申し訳ない。泣いても泣いても、涙は止まりませんでした。
しかし、このとき同時に価値観が大きく変わりました。残された家族が不幸になるのだけは嫌だ。第一優先は家族。
そこから病気について正確な情報を知ることで、だんだんと心は落ち着いていきました。それと、希望も見つかりました。当時の治療法の選択肢は、骨髄移植を待つか、抗がん剤のインターフェロンを打つかでしたが、「新薬が出る」という情報を耳にしたのです。