久田邦博さんのSTORY 「死ぬまで」が僕の人生。やりたいようにやっていく。
頭に浮かんだ「自分を変える」メッセージ
入院して8日目の2001年の9月11日。病院のテレビでニューヨークの貿易センタービルが崩壊する瞬間を見たとき、こんな言葉が浮かんできました。
「自分は今、死を恐れている。けれども、誰もがいつか死ぬ。それがいつやってくるかはわからない。自分もほかの人も、同じようなもの」
さらに、頭の中にドンと現れた言葉があります。
「いつ死ぬかわからない。だったら、やりたいことを先延ばしにしないほうがいい」
その日から、退院したらやりたいことを考え始めました。
そうして退院後、実際に何をしたかというと、『ドラゴンクエスト』です。もともとゲームは好きで、仕事に集中するために封印していましたが、もう仕事はどうでもいい。半年間もゲームに熱中して自分はバカなのかとも思いましたが、やりたいことをやっているうちに、心が元気を取り戻しつつあることにも気づきました。
もちろん、その間仕事もしていました。退院後、1週間の自宅療養を経てすぐに職場に復帰。入院期間中に、2つのプランを立てていました。
1つ目は会社をクビにならないことです。仕事の夢は失いましたが、家族を守るためには稼がなければいけません。
万が一、骨髄移植をすることになった場合、2年以上休む可能性もある。できるかぎり有給休暇の日数を貯めておこうと、早々に復帰しました。
もう1つのプランは、地元に帰ることです。僕も妻も、名古屋市出身です。地元に戻っておいたほうが、親や親せき、友人に頼りやすいと思いました。
当時は神奈川県の支店に転勤したばかりでしたが、上司にはこう伝えました。「一つだけ望みを叶えてもらえませんか? 地元の名古屋で死にたいんです」。希望は叶い、仕事に復帰してから半年後には地元に戻ることができました。
10年生きる。家族を守る。しかし、家族の未来を想像し続けていた一方で、自分の未来を想像することはありませんでした。僕自身の人生は、告知を受けたときに終わったままだったんです。