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ゆりきゃんさんのSTORY がんを主役にするのはもうおしまい。「私」を主語に生きるために

私はがんになった「悲劇のヒロイン」

子どもたちには、当初から「ママ、悪いものがあるから取ってもらうね」と伝えていました。息子は私の胸が片方なくなるのが嫌だったようで、「人間のおっぱいが2つないのはおかしい」と言っていました。後で聞いたことですが、保育園の先生に「ママ、薬で髪の毛が抜けちゃうんだ。でも頭に折り紙を貼れば大丈夫だよ」とも話していたそうです。

娘も、私の髪が抜けるのを気にしていました。治療が進んでウィッグを着けていた時期には、「ウィッグが臭い」と嫌がったこともあります。変わっていくママの姿を受け入れられなかったのかもしれません。

抗がん剤の事前講習を受けにいくと、周囲は高齢の方ばかりです。SNSでは同世代の患者さんをたくさん見かけますが、病院にはあまりいません。だからなのか、周囲には気を遣ってもらうことも多くありました。

でも、当時はその気遣いを素直に受け取ることができなかった。看護師さんに「私も同い年くらいの息子がいます」と話しかけられても、「どうせうちの息子は、ママががんで、かわいそうですよ」と捉えてしまっていました。

抗がん剤治療で自分がどうなるのか、想像がつきませんでした。「髪が抜けて、化け物にでもなっちゃうんじゃないか」と怖かった。その頃は精神的にひどく荒れていたと思います。「自分はがんになったかわいそうなママ。みんなはがんじゃない幸せなママ」と、悲劇のヒロインになりきっていました。

抗がん剤治療は、もとの予定より1カ月半ほど遅らせてもらいました。息子の小学校の入学式が控えていて、息子が新しい環境で「お前の母ちゃん、ハゲてる」といじめられるのではないか、と不安だったんです。

治療開始は息子の小学校の入学式と同じ日に決まりました。喜びと不安が入り混じる一日。ピカピカのランドセル姿の息子を見届けたその日の午後、抗がん剤治療が始まりました。最初は3週間に1回のペース。このときは、治療直後の1週間は寝たきりでも、後半の2週間は比較的元気に過ごせます。でも、途中から1週間に1回の投与に変わりました。そうすると、回復する期間がありません。肌はボロボロ。身体はどんどん弱っていき、何もできません。治療は毎週水曜日で、火曜日の夜は「明日が来なきゃいいのに」と、寝られませんでした。

 

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