杉浦雅昭さんのSTORY 病気とともに訪れた「奇跡」。人生に“自分軸”を取り戻す

“奇跡”の連続で生かされている
2024年9月で、肺の手術からちょうど10年が経ちました。主治医は、私のケースで5年以上生きている患者を見たことがないそうで、会えばいつも「生きているのは“奇跡”」と笑っています。
振り返ってみると、私にはずっとラッキーが続いていました。血便を放置していたら、身体が腹痛で異変を知らせてくれた。友人の奥さんが専門の病院を紹介してくれたおかげで大学病院につながり、いまの主治医に出会えた。1回目の肝臓への転移では、とても小さい腫瘍を見つけてもらえた。肺への転移が早期に見つかったのも、たまたま胸部まで検査をしたからです。
私は“奇跡”の連続で生かされているのかもしれません。肺の手術を終えてからは、「意外と死なないな」と思えるようになりました。もちろん、いまでも検査結果を聞くのは不安です。でも、「見つかればまた取ればいい」と思っています。
以前、主治医の先生に「がんは、高速道路を走っている車みたいなものだ」と言われたことがあります。普段は快適に身体の中を走っている。でも疲れてどこかで止まったとき、そこで腫瘍になってしまいます。がんが私を選んだなら、このままいてもらって構いません。
がんの手術ではじめて 入院したとき、看護師長さんに「杉浦さんのがんはどんな症状なの」と話しかけられたことがあります。私が説明すると、「ああ、大丈夫だよ」と笑顔で返されました。根拠がないように思えますが、私はその言葉がとても嬉しかったんです。
看護師長さんが本当に患者の病状を知らないとは考えにくい。あえて聞いてくれたのは、病気を自分の言葉で話させようとしたのだと思います。自分で病状を説明したことで、病気をしっかり認識できた。がんが身体にいることを受け入れられたのは、看護師長さんとの会話があったからかもしれません。